逗子海岸近くの住宅街にある正力松太郎が暮らした「旧正力家別邸主屋」とその表門、蔵、「須藤家住宅主屋」とその旧ボイラー室が国の有形文化財建造物として11月19日、文化審議会から文部科学大臣に対して答申されたことを受け、登録が決定した。
当時は海を眺められたという2階の洋室は庭を臨む三面にガラス窓を入れ、開放的な造り
逗子市の建造物が登録されるのは2006(平成18)年の「長島孝一家住宅主屋」(逗子市新宿1)、2010(平成22)年の「旧脇村家住宅主屋」(逗子市桜山8)以来となる。
日本初のプロ野球球団「大日本東京野球倶楽部(現・読売巨人軍)」を結成したり「日本テレビ放送網(日テレ)」を設立したり、国政にも携わった正力松太郎は1931(昭和6)年、逗子に移り住み、1969(昭和44)年に亡くなるまで暮らした。
外観を和風にまとめた良質な別荘建築と評価された同邸には、現在、正力のひ孫・塚越暁さんが家族と共に暮らしている。登録に当たって訪れた調査関係者には、当時の形を残しながら暮らしていることが珍しいと言われたという。
正力が使っていたままの椅子に座って話す塚越さんは「残すことを決めた後、木造建築の専門家チームに依頼してリノベーション工事をしてもらった。私自身は古い建物を残し、受け継ぐことの意味をまだ探している途中だが、こうして国に認めてもらえたのは専門家の力添えもある。いい報告となった」と笑顔を見せ、「母は『この家に息子が住むと言ってくれてうれしかった』と喜ぶが、私は正力松太郎が残した家に住まわせてもらっている管理者のような思い。受け継いだ責任はある」とも。
もう1物件の「須藤家住宅主屋」は昭和前期の住宅。文化庁発表によると主屋北側の旧ボイラー室は、GHQ接収時に建てられた希少な建物という。
逗子・葉山・鵠沼の有志でつくる「原風景を生かすまちづくりの会」では12月4日に開催の湘南邸園文化祭参加企画「地域の原風景を生かしたまちづくり」で、ゲストとして塚越さんを招き、登録までの経過などの話を聞く。会場は「黒門カルチャーくらぶ」(逗子市新宿)。同会のメンバーは「逗子にはまだまだ多くの歴史ある建造物が残っている。登録されることで固定資産税の減免などもあり、所有者の方々が保存しようと思うきっかけにもなる。今回の登録は逗子にとっても逗子の文化を未来に引き継ぐ手がかりとなる有意義なこと」と喜ぶ。