葉山の御用邸近くの三ヶ岡(さんがおか)中腹にある「加地邸」(葉山町一色)で3月3日、「施主・加地利夫、設計・遠藤新」と記された1928(昭和3)年建築当時の弊串(へいぐし)が見つかった。
弊串の裏に「昭和貳(三の旧字体)年九月七日 施行 秋山岩造 設計 遠藤新」と書かれている
国指定登録有形文化財「加地邸」オーナーの武井雅子さんは「弊串があるかもしれないと聞き、何度か屋根裏で探していたが見つからなかった。その日は、雨漏りがする屋根の点検で屋根裏にあがった大工が梁(はり)とは違う黒い横線が入った木材を見つけ、呼ばれて見に行くと弊串だった。イメージしていたサイズとはまったく違う、3メートル20センチというロングなもので驚いた」と話す。「弊串は上棟する際に一番高い棟木に取り付け、完成後は屋根裏に置いて、その家を見守るといわれている。いったん降ろしたが、どうやって保存しようか、また元に戻そうか迷っている」とも。
見つかった弊串には表に「上棟式 施主 加地利夫氏」、裏に「昭和貳(二の旧字体)年九月七日 施行 秋山岩造 設計 遠藤新」と書かれ、表には御幣(ごへい) のような和紙と3本5本7本の横線も入っている。
歴史的建造物の調査をする「かながわヘリテージマネージャー協会」会員は「登録有形文化財のような歴史ある建物でもこのような貴重な弊串が見つかることはまれ」と話す。
遠藤新の孫で建築士の遠藤現さんは「新(あらた)の師、フランク・ロイド・ライトはデザインの一部のように分からないようにタイルにサインを残したそうだが、祖父が自分の設計した家にサインを残したという話は聞いていない。加地邸について記した物はないかもしれないが、施主の理解・環境条件・潤沢な予算など建築家にとって自分の思い通りに建てられたであろう遠藤新の代表作の一つと思っている」と話す。
2016(平成28)年にオーナーとして加地邸を受け継いだ武井さんは「戦争でこの建物の図面が消失してしまい、遠藤の出身地の新聞や書籍にしか遠藤が加地邸を建築したことが記載としては残っていなかった。今回、この弊串を見て、建てた時の加地さん遠藤さん、職人らの心意気が感じられて歴史がフラッシュバックしたような気がした。完成した時は、真鍮(しんちゅう)も光り輝いて贅(ぜい)を尽くしたきらびやかな建物だったはず。葉山にとっても大事な建造物、大切に残していきたい」と話す。