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「池子米軍住宅建設反対運動」資料集全7巻 元市長らが逗子市に寄贈

桐ケ谷覚逗子市長(右)に資料集を寄贈する「逗子市米軍家族住宅建設反対運動資料集市民編集委員会」の田中尚武さん、小田鈴子さん、平井竜一さん、富野暉一郎さん(左から)

桐ケ谷覚逗子市長(右)に資料集を寄贈する「逗子市米軍家族住宅建設反対運動資料集市民編集委員会」の田中尚武さん、小田鈴子さん、平井竜一さん、富野暉一郎さん(左から)

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 「逗子市米軍家族住宅建設反対運動資料集」を逗子市に寄贈するため、市民編集委員会のメンバーが8月30日、桐ケ谷覚逗子市長を訪問した。

「逗子市米軍家族住宅建設反対運動資料集」7巻

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 同資料集は「すいれん舎」(東京都千代田区)が2006(平成18)年から、戦後日本住民運動資料集成として企画出版してきたシリーズの12期目に当たるもので、全7巻、解題、DVD(証言集)がセットになっている。

 逗子市にはいまだアメリカから返還されていない区域が288.4ヘクタール(一部は隣接する横浜市)あり、米軍家族住宅やコミュニティーセンター、消防署、郵便局、アメリカンフットボール場などに利用されている。同市では1954(昭和29)年の市制施行と同時期に池子接収地返還運動が始まり、1983(昭和58)年から10年ほど、米軍家族住宅建設問題は市民が活発に反対運動を行い、市政に大きな影響を与えた。

 1984(昭和59)年、建設反対だった当時の三島虎好市長が33項目の条件を付して米軍住宅受け入れを国に回答すると市民はリコール署名を集め、市長は辞職。反対派の富野暉一郎さんが市長に当選した。

 富野さんは市長を務めた1992(平成4)年までの8年間、この市民運動を後世に伝えようとチラシ類などの記録を取っておいたという。「段ボール30箱くらいはあった。いつかまとめようとずっと思っていたところ、コロナ禍前、この運動を支持してくれていた元滋賀大学学長の宮本憲一さんに背中を強く押され、編集を始めた。そして2年前、平井さん、小田さんに声をかけて7人で編集委員会を立ち上げた」と富野さん。

 前市長当時、池子住宅地区と海軍補助施設一部土地約40ヘクタールの土地の共同使用が始まった平井竜一さんと、当時副市長だった小田鈴子さんも、「逗子市民でも池子の基地問題を知らない人が増えたが、市民が自分の意思を行動に移して訴えってきた歴史は大事に伝えていきたい」と話す。

 訪問前日の同29日、南関東防衛局から「2001 年に開設した逗葉地域医療センター・逗子市保健センターへの進入路として整備した道路が11月30日までに返還されることが合意された」と市に連絡があったと発表された。日米で共同使用し、逗子市が市道として維持管理してきた道路だ。

 富野さんは「昨日発表された道路の返還は46年ぶり4カ所目の返還で、まだまだ先は長い。史実の上に立ってまだ解決されていない返還問題の交渉を続けてほしい」と言い、「国内外から共感と支援が寄せられて、逗子市は市民民主主義のまちとして確固とした評価を受けてきたことを残せたら」と力を込める。

 同資料集は逗子市立図書館に収蔵する予定。

 編集委員会は10月21日、記念講演会を逗子市文化プラザさざなみホール(逗子4)で開催する。10月21日は40年前の1984(昭和59)年、旧米海軍池子弾薬庫ゲート前に市民約50人が集まった日と記録されている。

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