逗子郵便局の近くに1958(昭和33)年、店舗を構えたカーテン&インテリア「オカザキ」(逗子市逗子6、TEL 046-873-2200)が5月7日、閉店する。
創業は1948(昭和23)年で、現社長、岡崎一郎さんの祖父・与三郎さんが葉山で畳店として始めた。農家の三男だった与三郎さんは陸軍士官学校卒業後、日本航空のパイロット1期生募集で入社したが、訓練中の事故でパイロットになる道が閉ざされた。その後、東京上野の町工場で航空機の部品を作り始める。第二次世界大戦のとき、葉山に疎開。戦後、実家の広島からイ草を運び、畳表や畳床などの畳材を製造販売した。
一郎さんの母、照子さんは1926(大正15)年生まれ。与三郎さんと共に働いていたが、高度成長期に入り、畳だけでは先細りになると考えていた。ちょうどその頃、カーペットを量産できるようになった企業が販売先として畳店に目を付けていた。両社の思いが一致し、1958(昭和33)年、現在の逗子店の辺りにカーテン・カーペットを中心とするインテリア店として新しくスタートした。
店舗とともに自宅も逗子になる。一郎さんは「小学校4年生の時、葉山の小さな小学校から1学年10クラス500人もいる逗子小学校に転校し、カルチャーショックを受けた。家の裏は雑木林で、よくそこで友達と遊んでいた」と懐かしむ。
当時、照子さんはカーテンの注文があると1人で採寸、見積もり、縫製し、カーテンレールを持って取り付けに行っていたという。「カーテンで窓を飾る時代ではなく、カーテンは強い日差しを遮るものだった」「カーテンを縫えた母親が多かったので、オーダーカーテンは東京から疎開したまま逗子葉山に住み着いた洋風の暮らしを好む家族や米軍関係者の家族によく売れたようだ」という。
「オカザキ」は逗子葉山近隣を代表する店の一つとなっていく。
1991年、横須賀市平成町に出店。この頃、インテリア業界では店頭から生地の原反が消え、サンプル生地を集めたカタログ帳で品物を選ぶようになっていたが、オカザキは産地から一反単位で仕入れる創業以来の方針を崩さなかった。「セール期間は、お客さまの注文に応じ、一日中、生地を切っていた」と振り返る。
2000年には自前の縫製にこだわり、プロセスセンターを逗子に完成させ工房を併設。独フランクフルトで開催される大きな展示会にも毎年出向き、インテリアの本場ヨーロッパから生地だけでなく、装飾品も直輸入していた。
2014年、消費税増税もあり、所得が増えても購買を控える時代が続き、「オカザキ」も影響を受け始める。一郎さんは「団塊の世代が定年退職となり始めるころから、購買のスタイルが変わり始めた」という。「店を閉めざるを得ないことになり、長い間支えてくださったお客さまには申し訳ないの一言」と苦渋の選択だったことをにじませる。「5月7日まで、ベテランバイヤーが取りそろえた良品も破格値で販売。足を運んでいただければ」と呼び掛ける。
営業時間は10時~19時。