逗子市の私設科学館「LiCa・HOUSe 理科ハウス」(逗子市池子2)が9月8日、目標だった開館10周年を区切りに休館。ホームページには「世界でいちばん小さい科学館です。科学読みものライブラリー、科学あそびワークショップ、専門家によるサイエンスカフェなど、小さくてもおもしろさは世界一」と説明があり、2014年には「第10回小柴昌俊科学教育賞優秀賞」を、2018年4月には「科学ジャーナリスト賞特別賞」(日本科学技術ジャーナリスト会議選考)を受賞。県外にも広く評価されている。館長の森裕美子さん、学芸員の山浦安曇さんに話を聞いた。
――2008年5月16日に森さんが開館して10年。延べ3万8398人が来館したとのこと。どうして10年という目標だったのでしょう。
森 始めるからには皆さんに知っていただく時間が必要で、それには10年はかかると思い、予算も10年分は確保して始めました。中学の教諭を辞めて、個人で科学遊びを紹介していましたが、働く場所も欲しかったし、父が亡くなって祖父、石原純のことを伝える順番が回ってきたタイミングも重なりましたね。
――石原純さんといえば、アインシュタインのもとで相対性理論を学び、1922年(大正11年)にアインシュタインが来日した際、講義の通訳を行い、相対性理論を日本に紹介した最初の物理学者ともいわれていますね。森さんが科学に関心を覚えたのはそのお祖父さんの影響ですか。
森 理科実験についてはそうですね。自宅に写真や資料もあったし、母から話も聞いていました。でも自分ができる能力は限られていると思ったので、唯一得意だった数学の先生になるだろうと思っていて、実際、中学の数学の教諭になりました。科学館をやるなんて思い描いていたわけではないんです。
――では、こういう科学館にしたいという構想はどこから?
森 もちろん、石原純のことを知ってもらいたいと思う気持ちがありました。また私も子どもも地元の幼稚園、地域に育てられたという実感があって、地域の人とつながっていたいという思いもありました。すでに、野外活動センターなどでワークショップとして科学遊びをやっていたので受け入れてくれる人も多いのではと。
また、日本の科学館に支援する予算を下ろすことを審査する国の「科学技術振興機構」の委員を6年間務めている間、いろいろな科学館を見る機会があって、科学館に対する現状への不満、伝えようとしていることが伝わらないのはなぜかという疑問を持つようになっていたので、自分でやってみたらいいんじゃないか、自分でやることで方法を提案できるかもしれないと思っていたことも「理科ハウス」の構想につながりましたね。
――最初から一人で?
森 幼稚園時代の役員仲間だった山浦さんが学芸員として手伝ってくれると言ってくれて、2人で10年。私が不得意な生物に関して山浦さんは得意分野でした。観察力や科学的なセンスがとてもある人です。
――山浦さんはそういう仕事をしていたのですか?
山浦 逗子の名越の谷戸の自然調査を2007年からやっていて逗子にどんな生き物がいるか調査していました。今は池子の森で自然環境調査の一員として特にチョウを調べています。
森さんに誘ってもらってこの10年、面白くて仕方なかった。企画を考えることが苦労ではなかったですね。それは等身大の科学が大事だと思っていたから。自分と全く関係ないことを説明されても難しいけれど、自分の生活の身の回りにあることで「えっそうなの!」という科学ならば興味も湧くでしょ。企画のヒントは自分の生活の中、来館者との対話の中にありました。
森 確かに自由にやっていましたね。それでここまでくるとは思わなかった。自分が楽しく勉強できればいいと思ったけれど。特に実験はその都度その都度勉強したり、研究会で得たものを理科ハウス風にアレンジしたりして取り組みました。
――10年続けてこられたのは2人が科学を面白いと思ってやり続けられたからでしょうか。
森 そうですね。運営が心配になったのは私が体調を崩して2か月入院したときだけです。
来館してくれる子どもたちの成長をみることが励みになりましたね。小学生だった子が大学生になるわけですから、背も高くなるし、性格も落ち着くし、進路を決める頃になって理科系を選択したなんて聞くと、少しは影響を与えたのかなとうれしくなります。
山浦 高校生になると大人の会話になりますね。「学校の先生がこんなこと言っていた」とか。
――休館と知って残念に思う人が多いのでは?
森 休館だと知って初めて来館する人も多かったですね。「もっと早く来れば良かった」と。ではどうして今まで来てもらえなかったかと考えます。遠く、市外から来館してくれる人も多いのですが、逗子市内の人は名前を知っていても足を運んでくれる人がまだまだ少なかったと思います。中には、子どもの行く所と思っている人も。来館してみたら想像と違っていたという感想も多い。だから1度来館するとリピーターになってくれるし、次に来る時は友達や親を連れてくることも少なくありません。口コミが一番です。
「きっかけづくり」より「学びの場になる」イベントを
一つの真実を求めることが究極の目的
山浦 今、科学館の低年齢化が全国的に問題になっています。でもここは大人の次に中学生の来館者が多く、ほかの科学館にも驚かれます。あえて中学生以上が理解できるイベントを企画していることも理由の一つ。最初はここを知ってもらうためのきっかけになるようなイベントがいいと思っていました。でもある時、この広さなのでイベントは深い学びの場になることが分かった。参加した中学生が手帳にスケジュールを書き込んで忙しい中、また来てくれる。濃い内容にするには参加者の知識レベルもそろえないと興味深いものにはなりません。最後に企画した「大逆転」も小学5年生からしか参加できませんでした。基礎知識として小学5年生以上で習う知識が必要だからです。
森 中学生がレポートを書いたり宿題をしたり学べる場所はあるけれど科学を学ぶ場所はありません。
ここは真実を知る所、それが楽しいところです。例えばどんな生活をしていようが、」立場や宗教などその人の背景に関わりなく、ここでは真実を求めるということがみんなの共通の目的なんですよね。同じ目的に向かって話し合える。思想や政治などについて話そうとすると真実がないから話し合いが平行線になる場合も多いでしょ、科学はそれがない。真実について共通認識を持つことができます。アプローチはたくさんあっても正解が1つ。そこに向かってみんなが学ぶ場。それが楽しい、科学館は生涯教育施設として科学を学ぶ場。
――ただ、科学は自分に関係ないと思っている人も多いのでは?
森 暮らしていく上で科学によって生活できていることはたくさんあります。ただ誰かがやっている。誰かがやってくれているから生活が進歩しているんです。科学館はその誰かがやってくれている科学を学ぶところでも。
山浦 東日本大震災の時、食の安全や放射線について勉強会を開いてほしいという依頼があったし、放射線量を図る機械もいただいていたので、ずいぶん貸し出しました。あの時ほど、科学館って大事なんだ、生活に必要なんだと思えることはなかったですね。正しい理解のもとで判断して行動することの大切さを考えました。
――休館になっても忙しいそうですね
森 まず毎日、片付けをしています。10月21日には必要のなくなった物をガレージセールします。10月も11月も科学実験ショーの依頼をいただいているのでその準備もあり、石 原純のこともホームページ上でもっとまとめようと。休館しないとできなかったことが たくさんあります。地域のお祭りなどにもお礼のつもりで参加したいです。
山浦 10年間を振り返って、できたことは次のステップに持っていかないといけないし、改善点は見直さないといけない。以前、子ども会向けに「プラネタリウム」を企画した時、参加した保護者から「ここは敷居が高い」と言われたことがあって、科学に対して敷居が高いのか、この場所の敷居が高いのか考えました。次はどういう風にスタートしたらいいか。
――森さんと山浦さんは二人で科学論争することもあるのですか?
山浦 ありますよ。ガチで議論する相手です。
科学館ではまだまだ開けてない扉があります。普段、意識していないとその扉を開けることに時間がかかるし、トレーニングが必要です。科学は関係ないと思っていた人もちょこっと知ると面白い世界です。私も死ぬまでに知りたい真実がまだまだあるはずと思っています。
【お知らせ】「理科ハウスガレージセール」
10月21日(日)11時~16時開催(雨天中止)。
場所=理科ハウス駐車場。
科学の本、科学おもちゃ、文具、ビーカー、アルコールランプなどが並ぶ予定
【関連サイト】「LiCa・HOUSe 理科ハウス」
インタビュー 逗子葉山経済新聞編集部