葉山で育ち、暮らしている小林洋平さんはオーケストラサウンドから、ハードロック、フリージャズ、民族音楽などさまざまなジャンルに精通した作曲家であり、編曲家であり、サックス奏者。テレビ番組や映画音楽なども数多く担当している。8月13日放送予定のNHK終戦ドラマ『しかたなかったと言うてはいかんのです』は数年前から思いのある番組。放送を前に、小林さんの歩んできた音楽の道や番組への思いを聞いた。
前編は音楽との出合い、仕事との出合い。
(2018年10月8日横須賀芸術劇場にて 提供=FAIR WIND music)
―― 葉山出身と伺いましたが…。
小林 あけの星幼稚園、長柄小学校、南郷中学校とすっかり葉山育ちです。
―― 幼少期から音楽に親しんでいらっしゃったそうですね。
小林 母がピアノを教えていたので物心がついた時からピアノがあって音楽がそばにある環境でした。父は、音楽を専門にしている人ではなかったのですが、すごく音楽が好きで、音楽に造詣の深い人でした。父が「この人はまだ無名だけどすごいんだよ」と教えてくれた駆け出しの指揮者が後に大指揮者になっていたこともあり、聴く耳があったというのか、感性があったというのか、とにかく音楽に限らずどんな分野でも一流のものを知っている人でしたね…それも一般的、流行的な情報に惑わされずに…。なので良質な音楽はもちろんですが、父は本当にいろいろなものに出合わせてくれました。
―― サックスとの出合いはいつになるのでしょう。
小林 最初はピアノとバイオリンを習っていて、中学校でサックスに出合うと一気に音楽にめり込んでいきました。
―― いろいろな楽器がある中で、なぜサックスだったのですか。
小林 中学に入る前くらいから、兄がインストのフュージョンみたいな音楽をよく聴いていて、自然とサックスの音が染みついていたんです。その後、高校に入ってから鎌倉にお住まいの服部吉之先生に素晴らしい教えを受け始め、将来は音楽の道に進みたいという気持ちが強くなりました。ですが、父が音大進学を猛反対しました。
―― 音楽好きなお父さんが反対したのですか。
小林 好きだからこそ、好きなら趣味でやった方がいいという考えでしたね。サックスはオーケストラに入れるわけでもないし、どうやって食べていくのかとか、ひと悶着ありまして、断念することにしたんです。
もう一つ、子どものころからずっと好きだったものがありました。物理学です。とりわけ宇宙論や天文学は、心を捉えて離さない特別な存在でした。NHKのドキュメンタリー番組とかは録画したビデオがすり切れるぐらい見ていたんですよ。「アインシュタインロマン」とか「銀河宇宙オデッセイ」とか。懐かしいです…
「音楽と宇宙が好き 数式が音符に」
―― 音楽と宇宙が好きな子どもだったんですね。
小林 音楽の方が少し「好き」が勝っていたのですが、父の反対もあったので、大学は東京理科大学の宇宙物理学研究室に進みました。でも音楽活動は続けていて、ジャズとかフュージョンなどのジャンルの師匠にも出会って、数式だけでなく音楽にも囲まれる日々でした。音楽をやりたいという気持ちがどうにも抑えきれなくなってしまって、大学4年の時にバークリー音楽大学から奨学金を授与されたこともあり、翌年9月にバークリー音楽大学の映画音楽科へ留学することに決めました。
―― 子どもに音楽を続けさせるかどうか同じように悩んでいる親の話をよく聞きます。小林さんも悩まれた結果、音楽の道に戻り、こうして仕事として続けられています。仕事として続けられている理由は何でしょう。
小林 もちろん縁にもチャンスにも恵まれたと思いますが、自分を信じて決して諦めることがなかったからなのかもしれません。覚悟を決めて留学したからにはもう後戻りはできなかったですし。バークリーはほぼ満点の首席で卒業しましたが、あのころからの「寝ても覚めても」音楽のことを考えている感覚は年々増す一方です。逆に言えば、それくらい没頭して初めて、その道の「入り口」にようやく立てるのではないかと思います。生半可な向き合い方では決して生きていけない世界です。当たり前ですが…。
―― バークリーでの勉強は楽しかったのですね?
小林 初めて一時帰国した時、母に言ったことをいまでも良く覚えているんですが、楽器練習して、曲書いて単位がもらえるってすごいねって。好きなことを一生懸命やって、やればやっただけきちんと認められていく。そして日本では会えないような方とも会える。
―― 特に印象的だったことは何でしょう。
小林 ある先生に僕が宇宙物理学を専攻していたと話したら、「コングラチュレーション!」と言われて、「それはあなたの人生の一部なのだから、音楽と切り離して捨てるんじゃなくて、それを生かして、あなたにしかできない音世界を創りなさい」と言われて、とても感動したんです。他の先生たちもみんな同じようなスタンスで僕のことを見くれていたことは一番印象的なことですね。そんな風に言ってもらえたことがアメリカに来るまでなかったので。もちろん音楽的な教育は世界最高水準ですから、それらが素晴らしかったのは言わずもがなです。
―― 日本で音大に進まなかったことも遠回りではなかったと気付かせてもらえたんですね。
小林 そうですね。僕自身は音楽と物理学ってみんなが言うほど違う分野とは思っていませんでした。もともと宇宙が好きになった理由と言うか…一つの大きなきっかけは、幼稚園の時にありました。みんな年を取っていつか死んじゃうんだってことに気が付いてしまって…それ以来ずっと死の恐怖に付きまとわれながら生きてきました。宇宙論とか天文学とか、そういう大きな視点で物事を捉えられるようになれば、もしかしたら死ぬことが怖くなくなるんじゃないかと、幼心に無意識に感じたのかもしれません。表現しているものが、今は音符で、当時は数式でしたけど、自分の根幹にあるもの自体はあまり変わっていないと思います。数式が音符に変わっただけっていう感覚ですかね。
―― お父さまも今は認めてくださっているんでしょうね。
小林 3年前に亡くなったのですが、最後はもちろんちゃんと背中押してくれて、世界で一番のファンになってくれていました。
(カフェテーロ葉山で)
「さまざまな作品との出合いをきっかけに」
―― 日本に帰国してからはどのように仕事とつながっていったのですか。
小林 幸運なことに帰国してすぐに、今所属している事務所のマネジャーと出会えたのですが、最初の何年かはギリギリ何とかやっていた感じでしたね。それでも少しずつテレビやラジオなどの仕事が増えてきて、徐々に軌道に載せることができました。ちなみに2006(平成18)年の終わりに帰国して、ドラマ音楽のデビューはNHKさんのラジオドラマで2007(平成19)年。テレビは2008(平成20)年、NHKさんの特集ドラマ「お米のなみだ」でした。映画は2010(平成22)年に「BUNGO-日本文学シネマ」の劇場公開版が最初です。
―― 次々に仕事が認められていきますね。
小林 日本のテレビドラマは特にそうなのですが、映画のようにシーンごとに当てはめて作曲をすることは、スケジュールや予算の都合でなかなかできません。作曲家がオーダーシートに合わせて作る十数曲を映像に合わせて切り張りする、いわゆる「選曲」の手法が取られています。僕は、シーンごとに曲を作って仕上げていく単発のドラマから仕事を始めたので、「作品に丁寧に寄り添って仕事をする人」という印象を最初から持ってもらえたことが大きかったのかもしれません。
―― 特に印象的な仕事はありますか。
小林 2010(平成22)年のオムニバスのドラマ「アザミ嬢のララバイ」はエキサイティングでした。10話シリーズで監督が6人。最初は40曲くらい作って選曲の人に任せる予定だったのですが、台本読んだら10話それぞれの世界が全く違うわけです。これはシーンごとに作っていかないと対応できないと思って、10話全部シーンごとに当てた曲作りをしました。多分100曲くらい書いたのかな…この時の監督さんたちが犬童一心さんに手塚眞さん、三島有紀子さんなど、そうそうたるメンバーでした。撮影監督の髙間賢治さん、美術も装丁家として著名な名久井直子さんだったりと、キャリアの初期に素晴らしい方々とご一緒させていただけたことは大きな経験の一つになりました。小林弘利さんをはじめ、脚本家陣も強力でした。
特に髙間さんはブログに「こんな低予算の中で、ハリウッド並みに全部曲を合わせてくるような小林君という若い作曲家がいるよ」みたいなことを書いてくださって。まだまだ実績に乏しかったので本当にうれしかったです。三島さんとはその後、NHKさんのドラマや映画「繕い裁つ人」をご一緒させていただきました。
―― シーンごとに当てていく曲作りはバークリーで学んだことなのでしょうか。
小林 そうですね。フィルムスコアリングという手法で、そのシーンのためだけに曲を作ることです。シーンを見ないで作る場合は、いろいろなシーンに使えるような、ある程度汎用性のあるものを作ります。フィルムスコアリングも選曲もどちらもメリットがあるので一概にどちらが良いとは言えません。ただ例えば同じ悲しみでも喜びでも物語が積み上がっていく過程で色は全然変わってきます。フィルムスコアリングで作ればそのシーンの役者の心のひだまで、曲も緻密に組み立てられる良さはあります。
―― 今もフィルムスコアリングの仕事が多いのですか。
小林 恐らく半々くらいじゃないでしょうか。今も映画を掛け持ちしていますが、映画はもちろん、ドラマでも単発の時は当てさせてもらえたりします。
―― 小林さんは曲作りをどのようにされているのですか。
小林 朝6時ぐらいから缶詰状態で作って、夕飯ギリギリまで頑張って、夜は食事やお酒を思い切り楽しみ、きちんと休む。これを心掛けています。昔は要領が悪くてよく徹夜もしていましたが、結局ものすごく効率が悪いことに気が付いてからは完全に朝方になりました。あっ、缶詰と言っても、もちろんお昼ご飯もちゃんと食べるし、休憩はします。
―― SNSに自作の料理を投稿していることが多いですが、料理は気分転換ですか
小林 確かに頭をリセットすることができますね。でも料理自体がとても好きなんです。ありとあらゆるジャンルを作ります。留学した時に、ジャンクみたいなものばかりになってしまって作り始めたら、楽しいことに気付いて…。凝り性なのでやるときはとことんです。カレーなどはスパイスの配合から始めますよ。
以上、後編に続く。
後編では8月13日放送予定の終戦ドラマ『しかたなかったと言うてはいかんのです』https://www.nhk.jp/p/ts/77NKRR6Y1J/ の話を中心に聞きます。
小林洋平さん ホームページ http://fair-wind.jp/