歴史講演会「砲台に消えた子どもたち~小坪の悲劇が今、語りかけるもの」が6月22日、逗子文化プラザさざなみホール(逗子市逗子4)で開催される。
終戦間もない1945(昭和20)年10月20日、運動会の練習を終えた日の午後、小学生ら十数人が犠牲になった砲台跡の爆発事故があった。
逗子マリーナ(小坪)造成前まで残っていた小坪と鎌倉を結ぶ海岸沿いの崖つたいの道に面して洞窟砲台が造られていた。終戦後、砲台としての機能を失っていたが、火薬などが残されていたという。兄を事故で失った小坪在住の草柳博さん(当時、小学3年)は「トンネルの入り口にあったボタンで砲門が動いたので遊んだ覚えがある。その日、私も一度は行ったのだが5年の兄を残して帰宅していた。友達と庭で遊んでいたら焼け焦げた服を着た兄が戻ってきた」と話す。
主催の「逗子歴史を学ぶ会」のメンバー、天野清司さんは「2010(平成22)年、この事故について小坪を回り、証言を集めた野村昇司さん、黒田康子さんの講演会を開き、私たちの会でも関心を持つようになった。草柳さんとは同じ87歳。亡くなった子どもは同世代、全員の名前さえも確かになっていないことは非常に無念」と言う。
当日の登壇者の一人で、事故の背景を調べ続けている元中学校教師の中澤洋さんは「調べ始めてみると、正確を期すべき公的な刊行物でさえ犠牲者の人数がバラバラで、これは何が起きたのかが明らかになっていないということではないのかと思い立った」と話す。
草柳さんも事故の記憶を語る。「事故のあった砲台入り口にあったお地蔵さんを彫った慰霊碑が高台に移されてしまっているので、元の場所に改めて犠牲者の名前を彫った慰霊碑を10月ごろに建てたいと思っている。遺族会として残った一人として」と思いを込めて話す。
天野さんは「逗子も戦争に巻き込まれていた。真実に耳を傾け、後世に伝えていければ」と呼びかける。
開催時間は10時~11時45分。参加費は1,000円(小冊子込み)。