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葉山で川端康成の初恋相手の息子、桜井靖郎さん講演会 母の婚約解消にもせまる

葉山在住、川端康成の初恋の女性、伊藤初代の三男、桜井靖郎さん

葉山在住、川端康成の初恋の女性、伊藤初代の三男、桜井靖郎さん

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 日本人初のノーベル賞作家、川端康成の初恋の女性とされる伊藤初代さんの三男、桜井靖郎さんが10月11日、葉山町立図書館2階で講演会を行う。主催は葉山まちづくり協議会。

(左から)川端康成、伊藤初代さん(提供=桜井靖郎さん)

 桜井さんによると、伊藤初代さんが東京・本郷にあるカフェに務めていた時、学生だった川端と出会い、1921(大正10)年、岐阜で暮らす伊藤さんにプロポーズ。「父が許せば」との返事をもらったことで伊藤さんの父に会うため、岩手県江刺郡の岩谷堂まで行ったという。そこで許しを得るが、ひと月余りで伊藤さんから結婚できなくなったとの手紙を受け取り、婚約は解消となった。

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 1969(昭和44)年に新潮社から刊行された「川端康成全集」第二巻のあとがきによると、川端は「10月8日に岐阜で結婚の約束をしてから、『非常』の手紙を受け取るまで僅(わず)かに一月、あっけなく、わけもわからずに破れたのだったが、私の心の波は強かった。幾年(いくとせ)も尾を曳(ひ)いた」と回顧している。

 桜井さんは東京に住んでいた小学6年生の時、母親は37歳で亡くなった。生前、川端のことは聞かされておらず、中学2年生の時、姉から聞いたという。桜井さんは「母が残した手紙は家の雨漏りでぬれてしまい、川端康成のものと知らずに大部分を捨ててしまった。今も悔やまれる。私はもともといわゆる文学少年だったが、それから川端作品は熱心に読んだ」と振り返る。

 2014(平成26)年、鎌倉市にある川端康成邸から伊藤さんに宛てた未投函の手紙1通と、伊藤さんからの手紙10通が発見され、テレビや雑誌で取り上げられた。桜井さんは「それ以前も川端研究をしている大学の教授などから取材を受けたり、川端さん関連の土地で記念碑の除幕式があると呼ばれたりしていたが、この発見でさらにいろいろな方とご縁ができ、『非常』の手紙について情報をくださったりした」と話す。「母がこれだけ注目されているのは、川端康成初期の作品に大きな影響を与えているからだそう。伊豆の踊子のモデルは母ではないかと言われている」とも。

 桜井さんは藤沢で父親と電機機器会社を起こし、40数年働いた。「葉山には1961(昭和36)年、京急が売り出した土地のチラシを見て、越してきた。近くの4つの花火大会が見える高台が気に入っている」と桜井さん。

 講演会では、川端康成と母との出会い、婚約までしながら別れることになった「非常」とは何か、川端康成と別れた後の母のエピソードなどを話す予定という。

 桜井さんを講師に推薦した山本勝哉さんは「川端康成は鎌倉で過ごし、逗子のマンションで自殺している。そういう縁の深い場所の近くで暮らす初恋相手の息子さんに話していただくことは意義深い」と来場を呼び掛ける。

 開催時間は14時~15時。参加無料。

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