2003(平成15)年、仲間と3人で資産運用会社「レオス・キャピタルワークス」を立ち上げ、現在は同社のファウンダーでもあり、社長でもあり、CIO(最高投資責任者)である藤野英人さん。2年前、別荘として購入した逗子の住まいに今年5月、都内から住民票を移した。同月に発売した「ゲコノミクス」(日本経済新聞出版)は多くのメディアで注目されている。著書は30冊以上。湘南に魅力を見出し、在宅ワークの快適さを実感している今、日本の、逗子の新しい時代に向け前進するための考え方を聞く。
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―― 逗子に越されたおかげで、金融界の第一線で活躍される藤野さんに話が伺えて光栄です。全国あちこちを知る藤野さんが逗子を選ばれたきっかけは何でしょう。出身は富山ですね。
藤野 母の実家が富山で、父は実家がないんです。満州で両親が亡くなっているので父にとっても母の実家が自分の実家のようで、盆暮れには富山に行く。私にとっても起点みたいな場所が富山です。父は転勤族で、小学校の後半から中学までは横浜で過ごしたので、神奈川とは縁がありました。
別荘を持ちたいと考え始めたのは、アウトドアメーカー「スノーピーク」会長の山井太さんと知り合いになったこと。新潟の本社にキャンプ場があって、誘われました。11月だったので寒いし、最初は「なぜ、こんなことしているだろう」という感覚でした。ただ、テントの中に入ってLEDのランタンつけたら包まれる安心感があって瞬時に寝てしまい、ぐっすり。朝、鳥の鳴き声で起きて、「何だ、これは」と思いました。日頃、明け方2時や4時に目が覚めてニューヨークのマーケットとか見たりするような生活をしていますから。でも山井さんの言葉、「キャンプをすることは人間性の回復、野生の回復」を思い出し、これかと思った。深く寝ることが大事、たき火が面白い、それがきっかけで、ストレスの多い自分にはこれが必要だなと思い、たき火ができる場所がいいなと別荘を探し始めるわけです。
―― 逗子は別荘の候補地だったのですか。
藤野 別荘=森=軽井沢だと、軽井沢に決めようと思っていました。ところが披露山に住んでいる先輩から逗子に来いと言われた。「逗子はいいぞ、東京にも近いし、夏は2度くらい涼しく、冬は2度くらい暖かい。飯もうまいぞ」と逗子のいい所をダーッと言われました(笑)。
それで、披露山に見に来たら、ここが数日前に売りに出ていた。2年という築浅で、センスのいいオーナーさんが7年掛かりで建てた家でした。家そのものもいいし、海も見えるしということで決めました。披露山がプレステージの高い場所ということも、「披露山に住んでいる」と言った時の回りの人の反応で、後から気が付きました。
―― その先輩にお会いしたくなりました(笑)。
藤野 湘南って、「湘南ボーイ湘南ガール」のイメージがあり、偏見ですが、自分とは縁遠い所だと思っていました。でもこの2年間、週末に来て湘南のあちこちに行ってみると、湘南の文化、食事に魅かれていく。もっと早く知っておけばよかったと思うくらいに。
コロナとは関係なく、在宅ワーク体制を
―― 昨年から在宅ワークができるよう、会社の仕組みを整えてきたそうですね。
藤野 コロナとは関係なく、随分前から通勤は非人間的だし、生産性を落とす。社員にとって良くないと考えていました。通勤ラッシュをいかに避けるか、フレックス通勤や在宅勤務がフレキシブルにできるように昨年から取り組み、4月には在宅勤務が誰でもどの部署でも選択できるように、IT機能や社内制度を切り替えて準備していました。
社員の雇用を考えると、結婚、出産、育児、配偶者の転勤、介護とライフステージに応じた働き方に柔軟に対応できるし、優秀な社員も入社しやすくなりますね。
―― 藤野さん自身の働き方も変わったのですね。
藤野 ここ(逗子)で仕事がしたいと思うようになっていたことも大きい。逗子でのウエートを上げたかった。
まだコロナの感染について軽視されていた2月17日から原則、全員を在宅ワークに切り替え、4月に緊急事態宣言が発令された時には逗子に住民票を移そうと考え、ゴールデンウイーク明けには逗子市民になりました。インフラも使っているので、税金もここに払うべきだと思って。東京の住まいも残してありますが、今は逗子9割、東京1割くらいの生活です。
―― 不自由はないですか?
藤野 いろいろな捉え方があるので、どうしたいかという意思の問題とコミュニケーションのあり方、社員との関係とか哲学になってくるが、1年かけて話し合ってこられたので、不自由はありません。 今までの日本が異常だと思っています。触れ合うべき人は家族じゃないですか。非接触でいいのは会社の人たち、接触すべきなのは家族。ところが会社にいる時間が長くて、家族といる時間が少なかった。パワハラ・セクハラの温床や少子化の原因になっていたのかもしれないですね。 時間の分配が違っていた。家の比重・家族の比重を社会的に上げるべきだというのが私の主張です。
ワーケーションや2拠点という動きはいい話で、今まで掛け声だけだった地方創生の話が進むかしれないと期待しています。
逗子の「住みやすさ」を追求して、スモールビジネス促進を
―― 逗子は企業誘致をして経済活性化を目指しています。子育て世代の個人事業者の移住は増えていますが、なかなか企業が流入してこない。どのようにご覧になっていますか。
藤野 逗子はポテンシャルがあるのにそれを使い切れていないと感じています。大卒者の率も高く、教育水準も高いが、今までベッドタウンだったので、ここでビジネスをする人、ビジネスを始めようとする人たちが少なかった。その傾向が続いているのでは。
でも、鎌倉にIT企業が移り始めているので、それが逗子にも及ぶ可能性は高いかなと思います。東京でアンテナを高く持つイケてる人たちは、教育水準が高く、東京からあまり離れたくない、おいしいオシャレなレストランやカフェが近くにあるというのを大事な条件に挙げます。まず個人で移住して、住み心地が良いと感じれば、会社も移してくるでしょう。 コロナがきっかけだけれど、在宅ワークや5Gだったり通信環境、ITの普及だったりを考えると、衣食住の環境がいい所に住みたいという時にきている今、逗子は競争力があると思う。電車は始発駅で、新宿にも渋谷にも東京にも便がいい。ただ、鎌倉から逗子って1駅の差なのに、とても遠いように思われるけどね。
―― そういう意味でも知名度はないと思いますが、知名度は必要ですか
藤野 知名度を上げる戦力を考えるより、住みやすい・働きやすいをただひたすらに追求していく方がいい。環境の良さ、住みやすさということで人が集まってくると、それに根差したインフラが整えられます。
例えば、犬などのペットを飼う人にとっても、ここはすごくいい場所ですよ。車で20~30分位の所にドッグランもドッグカフェも結構ある。キャンプ場もある。QOLの高い生活ができる。そうなると、空き地を使ってドックランとドックカフェを経営しようかという人が出てきたりする。大きな会社を呼び込むのもいいけれど、町の整ったインフラを目当てにスモールビジネスをやる人が集まってくる町が強くなると思う。 弱点と言えば、海と山が近くて崖が多く、広い土地がないこと。大きなコンベンションセンターが建てられない。集客場所がないのは残念かな。
―― 「ゲコノミクス」の中で書かれている下戸が集まる店を逗子に増やしたらどうでしょう。
藤野 食通というと気取った感じだけど、「食いしん坊の町」っていうブランディングはどうだろう。飲む人も飲まない人も集まる街ってどうでしょう、本当においしいものが多いですから。
―― 「ゲコノミクス」が注目されている理由はコロナと関係あるでしょうか。
藤野 実は、この本、私の本には珍しく重版がかかっていません(9月現在)。でも、メディア受けがとても良く、取材が多いです。切り口として何らかのトレンドを言い当てているからでしょうね。 また、これも狙いではあったけれど、飲食業界の人にインパクトがあったようです。ある大手居酒屋チェーンでは役員が全員で読んで、「自分たちの居酒屋のあり方を変えます」って連絡もありました。酒を飲んで楽しめる場所から、家族や恋人と食べて飲んで楽しめる場所にするという。下戸も飲む人も両方を大切にする店が増えるといいですね。
―― この本は下戸ではない人に読んでもらいたいそうですね。
藤野 飲まない人の9割くらいは、飲むことに対してアレルギーな人は少ない。むしろ飲める人には楽しく飲んでほしいと思っている。 特に、下戸の男性がお酒の好きな彼女・奥さんに望んでいるのは一緒にいるときにこそ、楽しく飲んでほしいということです。自分とは飲まないで、飲める男性の前で楽しく飲んでいるほうがつらいんです。下戸の人が読んでも社会は変わらないでしょ。
「ひふみ投信」はなぜ、成功したか
―― 最後にレオス・キャピタルワークスが設定・運用・販売を行う投資信託「ひふみ投信」についてお聞きしたいと思います。
藤野 国内の一つのアクティブファンドとしてはお客さまが一番多い、日本最大です。レオスはベンチャー企業なのにライバルは、資本力もブランドもあるスーパー大企業です。ベンチャーが、普通戦わない相手と戦っている。本当は不利で勝てない相手ですが、私たちは国民ファンドをつくりたいという強い思いがあったんです。
例えば、投資信託の商品について、町を歩いている人に、商品名を聞いても、「そういえば言われた商品を何か買っている」とかいう感じで、ブランドとして思い浮かぶ商品ってまだまだ少ないと思います。ずっと何十年もそうなんですよ。 お菓子だったら「ポッキー」や「たけのこの里」などを知らない人はほぼいないじゃないですか。お菓子の市場規模って3兆円くらいの規模です。一方で投資信託の市場規模は200兆もあります。かなりの巨大市場なのに、だれも商品名を知りません。なぜかと言うと、商品のブランドで営業することがなかったからです。大手は自分たちの企業ブランドで商品を買ってくださいと勧めてきた。商品のブランドに思い入れを持たせないようにしていたんです 。投資信託という商品をブランド品として長く持ってもらうという文化がなかった。長くじっくり持つ方が資産形成にとっていいはずなので、私たちは「ひふみ」っていう商品を長く持ってくださいね、と言い続けてきました。12年たって多分、知名度はかなり高い方だと思います。投資未経験の人を含めたひふみの知名度は11%くらい。でもポッキーは99%の人が知っているでしょ、だからまだ全然「日本のポッキー」にはなっていません。ひふみは誰もが知っている「日本のポッキーにしたい」というのが戦略なんです。
―― 信頼が大事だと思いますが、それはどうやって得ているのですか?
藤野 友達です。友達がやっていて、「いいものよ」と言ってもらえることが一番信頼が高い。お客さんからお客さんへということです。 うちは従業員約90人の会社でそのうち営業は全国で約20人ですが、50万人のお客さまがいて、アクティブファンドとしては一番多い。今後、さらに100万人200万人にしたいと思っています。
世の中って切り口が大事。勝てる要素っていろいろある。
藤野 ウォーターダイレクト(現・プレミアムウォーターHD)という天然水宅配会社も創業しました。 (参考/プレミアムウォーターの水宅配に契約する顧客数は3月までに100万件を超えると見られている。共に2位のナックとアクアクララの顧客件数は48万件で、プレミアムウオーターが大きく引き離している)。
後発で創業したのですが勝った原因は容器にあります。空気圧でつぶれて再生ゴミで捨てられる。物流費が1回で済む。多くの人は中身で勝負しますが、良いもの作っても売れるとは限らない。大切なのは売り方です。「良いものを作って工程の半分、それからどうやって売るか、イノベーションが大事」だといつも話しています。
日本人はエジソンから正しく学ぶべき
藤野 エジソンは「天才とは99%の汗と1%のインスピレーション」という言葉が有名な発明家で、努力の人だと日本人に思われています。実はエジソンは、発明した後、売ることに関してとても考えた人。エジソンほど日本人に誤解されている人はいないと思います。
―― 小学校の時に読んだ伝記にそういうこと、書いてなかったと思いますが。
藤野 そう、一生懸命努力すれば成功するという話で終わっている。映写機を発明した後、フランチャイズシステムを発明した。映写機の売り方を考え、今でいうインターネットカフェみたいなものを作ったんです。映写機カフェを作りたいオーナーを募集してお金を先に集めた。 さらに、エジソンはポップコーンとドリンクも同時に販売した。映写機カフェのオーナーに店で売るドリンクとポップコーンはエジソン商会から仕入れなさいとした。エジソンが成功した理由は売り方です。
本来、私たちがエジソンから学ばなければならないのはここです。いいもの作れば必ず売れるというわけではありません。 日本人が長く念頭に置いてきた「頑張れば成功する」という発想で製品開発をゴールとせず、どうやって売るのかということを製品開発と同じくらいの時間をかけて考える必要があります。
―― 投資もそこですね。
藤野 投資も運用するところで終わらず、運用の先の、自分たちの商品を通じてどんな社会を実現したいかまでを考えなくてはいけない。菅内閣になって日本社会のデジタル化推進が掲げられましたが、同時にどうやって工夫して楽しく収益を上げるかという方法も考えたい。今こそ、エジソンから正しく学べきでしょう。
―― 今、興味・関心があることは何でしょう?
藤野 ありすぎて困るくらい。日本の将来や新しいビジネスについて楽しみなことが多い。全業種にチャンスがあると思える。私にはチャンスに満ちあふれた国に見えています。少子高齢化だからとか、空き家が増えているからとか、物事を考える時に駄目な理由を言われれば言われるほどチャンスだと感じます。 満足していたら責めるところがない。不満があるところにチャンスがあると思っています。