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80歳を超えても毎日描き続ける葉山在住の画家 奥谷博さん。神奈川県立近代美術館 葉山で初個展

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 昨年、葉山のアトリエで描いた新作「底力」から中学生の時に描いた作品(初公開)まで奥谷さんの約70年の画家人生をたどれる貴重な展覧会(1950年代から現在に至る代表作72点と、宿毛で描いた作品38点)が開催されている。描き続けてきた思いを聞いた。


―― 葉山に住んで約50年になるそうですね。
奥谷 1973(昭和48)年、フランスから帰国して最初は葉山の堀内に住み、海あり山ありで、生まれ育った高知の宿毛と少し似ているように感じました。作家はその土地の風土性が出てくるもの。

 その後、長柄にアトリエを新築した当時はキジが飛び、ウサギが走っていて、いい所を見つけたと思った。ただ、1年経つとバスが通り、学校が建ち、住宅がどんどん増えていくような時代でしたね。

―― 今回、葉山では初めての個展になります。きっかけは?
奥谷 故郷、高知の県立美術館から個展開催の話を頂き、高知で開催するなら50年暮らす葉山でもと思い、館長に相談しました。鎌倉の県立美術館の展覧会は48歳という若さで行ないました。とても緊張した思い出があります。

―― 作品には渦潮が多く、描かれています。高知・鳴門の渦潮ですね。
奥谷 特にこだわっているわけではないが、魅力は勢い、流れ。絵を描く時に胸がカーッと熱くなる時があって、その感情が燃えてくるときに、渦潮はぴったりなんだ。

―― この展覧会のポスターに採用した絵にも渦潮が描かれています。
奥谷 この絵は描いている時に目まいがして、病院で3回診てもらったが何でもなかった。這いずりまわって描いたから「底力」というタイトルにしたほど。
 絵の鬼は奈良の興福寺にある「天燈鬼・龍燈鬼」で、本当は、後ろは寺の壁でした。所々穴が開いた壁で、描いていたら目まいがしたので渦潮に変わりました。
 私の絵を見て、渦潮を見に行った人が「見ることができなかった」とがっかりすることがありますが、渦潮は大潮の時に何回も行かないと見みられない。私は船長と顔見知りになるくらい見に行っています。絵描きは求める形に合うような渦潮の形が現れるまで待っているものです。

―― 中学生のころ、宿毛で描いた作品は初公開ですね。よく残っていましたね。
奥谷 小さい頃から絵をよく描いている子だったそうです。それで母は私がずっと絵を描いていくだろうと思っていたようで、蔵の2階にずっと保管してくれていました。今回、300枚位出てきた。
 最初、絵は先生の資格を持っていた18歳上の姉が教えてくれました。大和絵を買ってきて模写するよう言うんです。かぶと武者などの模写が面白くて12色や24色のクレパスがすぐになくなったほど夢中に描いていたようです。油絵は高校生になってからです。
 東京芸術大学に行きたいと言った時も、学校の先生はもっと堅実な弁護士がいいと言ったんですが、親たちは一切反対せず、2回落ちた時もゆっくりやればいいと見守ってくれていましたね。

奥谷博《鞄と帽子》1947年 鉛筆、水彩、紙 個人蔵 

座右の銘は「藝術無終」
―― 今回のタイトル「無窮」は座右の銘と関係がありますか
奥谷 座右の銘は私が50代後半に思い付いたこと。芸術には終わりがない、絵を描くことは生きることという意味。個展のタイトル、無窮もこの「藝術無終」から考えました。
 今も毎日7~8時間描いています。40~60代の頃は1日10~12時間描いていましたが、昼夜が分からなくなりますね。これからも長く描き続けるには7~8時間がちょうどいいと思っています。それ以外は、テレビなどを見てリラックスしています。

―― コラージュのように組み合わせた構図が先生の特徴でしょうか。
奥谷 そうですね。描きたいものが浮かぶとメモします。すぐには描きません。何年か経って絵にしよう、10年経ってから発想が面白いと思って描く場合もあります。風景をそのまま描くことはないね。発想が昇華されていって絵になるんだと思っています。

―― 奥谷さんは「日本人の油絵」という言い方をしていますが、西洋の画家の油絵とは違うものなのでしょうか。
奥谷 32歳の時、文部省(半年後に文化庁)の在外研修制度でフランスに1年派遣されました。言葉も分からないまま、日本人が誰もいない学校で学びました。その1年では物足りずに5年後、妻と娘と一緒にルノーの小さい車でフランスを回って多くの西洋画家の絵を見ました。収入は絵を描いて日本に送っていました。
 帰国直前、ニースでアンドレ・マルローの企画による『空想の美術館』展を鑑賞したとき、最後の部屋に1点、国宝「平重盛像」が展示されているのを見て、東洋にもこんな素晴らしい作品があるんだとドキッとしたものです。日本文化を再認識させ、西洋のまねではなく日本人の油絵を描くことを痛切に感じた作品でした。神様が与えてくれたと感じる出合いでした。そして油絵と日本画の融合を考えるようになったのです。

―― 改めて地元葉山で個展を開催していかがですか。
奥谷 作品を並べてみて気が付いたことだけれども、この会場はよくできていると実感しました。設計者を聞いたら建築家ではなく、学芸員が作品を並べてきれいに見える建物にしようとしたらしい。
 孫を描いた作品は点描で肌の感じを表現しているが、気が遠くなるような手法なのに他の会場では点描が見えなかった。先日、文化勲章を受賞した洋画家の絹谷幸二さんが来られて『この会場は点描がはっきり分かった』と言ってくれました。作家としていい建物だと改めて思っています。

―― 最後に、今年88歳になる奥谷さんのお元気の秘訣(ひけつ)は、やはり絵を描くことでしょうか。
奥谷 そうだね。これまでの大病はまだ高知にいる子どもの時で蓄膿、扁桃腺。田舎の病院で8時間位かかった。その時に描いた病院の前にあった女学校の絵も今回、展示している。子どもの頃から絵を描くことが薬。これからも描き続けてくつもりです。

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【奥谷博プロフィール】
 1934(昭和9)年、高知県幡多郡宿毛町(現在の宿毛市)生まれ。1955(昭和30)年、東京芸術大学美術学部油画科入学。1963(昭和38)年に同大学専攻科を修了。1960年代半ばに厚塗りから薄塗りへと描画技法を切り替えて以降、緊密な構成の中に色彩を大胆に対比させつつ、微細な筆致を重ねて描くという独自の、幻想性さえも感じさせる画風を確立した。
 2007(平成19)年に文化功労者、2017(平成29)年に文化勲章受章。日本芸術院会員、独立美術協会会員。


 ☆展覧会は4月3日まで。月曜休館。観覧料は、一般=1,200円、20歳未満・学生=1,050円、65歳以上=600円、高校生=100円、*中学生以下と障がい者手帳等を持っている人(および介助者原則1人)は無料。http://www.moma.pref.kanagawa.jp/exhibition/2021-okutani-hiroshi

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