国指定名勝の日本庭園「三溪園」のシンボル「旧燈明寺三重塔」を次世代に継承していくため、5年をかけた保存プロジェクトが始動しました。横浜市は、この保存プロジェクトの実現に向け、10月3日から、「ふるさとチョイス」において、クラウドファンディングを開始しました。
寄附のお礼として、三溪園でのお食事体験や文化体験、三溪園グッズなど、多種多様な返礼品をご用意しました。
文化財を未来へと受け継いでいくために、皆様の温かいご支援とご協力を心よりお願い申し上げます。
■名勝三溪園 重要文化財「旧燈明寺三重塔保存プロジェクト」~守り、継ぐ。あなたの想いを「ふるさと納税で」。~
三溪園は、明治末から大正末にかけて実業家・原三溪によって造成された庭園です。原三溪は、自邸の庭園の公開を通して、地域の人々に安らぎと癒しを提供していました。横浜の発展に寄り添い続けた三溪園は、日本の歴史と文化を感じることのできる横浜市の貴重な観光資源の一つであり、これからも守り続けていく必要があります。
横浜市としては、三溪園を、これからも横浜市民の皆様や、横浜を訪れる皆様に安らぎを提供できる空間として維持できるよう、引き続き支援を続けていきます。
今年度からは、三溪園のシンボルである重要文化財「旧燈明寺三重塔」の保存プロジェクトを開始しました。文化財を未来へと受け継いでいくために、皆様の温かいご支援とご協力を心よりお願い申し上げます。
■ 三溪園とは
三溪園は、横浜市中区本牧に位置する、広さ約175,000平方メートル の日本庭園です。緑あふれる静かな空間は、横浜の中心部にありながら、都会の喧騒を忘れてほっと一息休める時間を過ごすことができます。
園内には、京都や鎌倉等様々な地域から移築された多くの歴史的建造物があり、自然と調和した景観を楽しむことができます。四季折々の催事を開催しており、年間を通じて多くの方にご来園いただいています。
■ 三溪園のシンボル「旧燈明寺三重塔」保存プロジェクト ~500年の時を超えて、室町の美を次世代へ~
旧燈明寺三重塔とは1457年(室町時代の康正3年)に建てられた、園内の建造物の中で最も古い建物。関東地方では最古の重要文化財の塔です。
細部は和様でまとめられ、室町時代の特徴を表し、屋根の軒反りや逓減率は穏やかで、安定した重厚感をご覧になれます。
旧燈明寺からの移築燈明寺は、京都府南の相楽郡加茂町に所在した寺院で現在は廃寺となっていますが、江戸時代に刊行された京都の地誌で、現代の旅行ガイドブックの先駆けともいえる、『都名所図会』(みやこめいしょずえ)にも「東明寺」として掲載された名刹です。
燈明寺は明治以降衰微し、三重塔は1914年(大正3年)に三溪園へ移築されました。小高い丘に建てられたその姿は三溪園を象徴する存在となっています。
また、三重塔が移築されていた縁で、第二次世界大戦直後の台風の被害を受けて解体され再建できないままにあった旧燈明寺本堂は、1987年(昭和62年)に三溪園に寄贈され移築されました。同じ室町時代の三重塔と本堂は、かつての燈明寺の繁栄とその寺院の美しさが偲ばれます。
三溪園のシンボルとして
三重塔の移築は、その後の庭園造成の上で大きな鍵となり、臨春閣や聴秋閣などはこの三重塔を室内から景観として取り込めるよう配置されるなど、園内の随所から三重塔が美しく眺められるような配置の工夫が見られます。
旧燈明寺三重塔の保存プロジェクト
旧燈明寺三重塔は、1914年(大正3年)に三溪園へ移築されました。太平洋戦争の折、1945年(昭和20年)6月10日の空爆により至近弾を受け、その爆風、弾片で損傷を受け、1954年(昭和29年)に半解体修理を行いました。その後、屋根の葺き替えと部分的な修理を行い現在に至ります。
遠くから見ると、安定した重厚感の姿を見ることができますが、三重塔の上からの荷重が集中するところを中心に、部材が割れたり折れたりしている箇所があります。また、基壇(基礎の部分)もランダムに沈下しており、棟全体が捻じれながら傾いている状態です。そのため、建物の解体作業と並行して、構造や意匠に関する詳細な調査を実施し、得られた知見をもとに保存・修理工事の方針を慎重に検討しながら、プロジェクトを段階的に進めてまいります。