JR東逗子駅が4月1日、開業70周年を迎えた。
東逗子駅開業に尽力した三田村鳳治さん。3月31日、100歳になった
3月25日には地域の市民や商店主などで立ち上げた「東逗子駅開業70周年実行委員会設立準備委員会」のメンバーがお祝いのバナーを駅舎に掲げた。
JR横須賀線は1889(明治22)年に大船駅と横須賀駅間で開業し、約2キロ隣の逗子駅は同時に開業している。現在、駅がある場所は当時、横須賀市逗子町沼間で1922(大正11)年には町議会で沼間駅設置を請願すると決定したが、駅が実現したのは30年後だった。
準備委員会立ち上げのきっかけの一つは同駅が、地域住民が土地や駅舎などの建設費用を負担して開業した請願駅だったことという。当時、先頭に立って尽力した法勝寺(逗子市沼間4)の前住職三田村鳳治さんは「学徒出陣し戦争から戻った後、池子弾薬庫の草むしりなど働きに出る親の子どもを寺で集めて預かっていた。沼間には病院もなく、学校もなく、隣町の医者を呼ぶには足代も必要だった。駅ができれば人も暮らしやすくなり、学校や病院もできて文化的な町になると思った」と話す。三田村さんはお宮の夏祭りで駅誘致を啓発するために「十年後の沼間」という劇の脚本を書き、演出した。
1950(昭和25)年、国鉄(当時)から駅設置の費用は地元負担という条件で許可が出、横須賀市が承諾。2カ月後に独立した逗子町は地域と話し合い、三田村さんたち地域住民が総費用の3分の1(約500万円)を負担することになった。3月31日、100歳になった三田村さんの手元には当時、寄付をしてくれた市民や寺の名簿が残る。「駅が開業した当日は雨だったが花火を打ち上げ、また戦争かと驚いた人がいた。今はもうないが、駅長室にはよく遊びに行った」と振り返る。
東逗子駅も管轄するJR逗子駅の曽我圭一駅長は「もともと請願駅という成り立ちもあるが、今もロータリーの掃除や花壇の整備などをボランティアで地域の人が関わってくださる。東逗子駅は地域の人がわが町の駅として、支えているように感じる。今後も皆さんと一緒に盛り上げていきたい」と話す。
「東逗子駅開業70周年実行委員会設立準備委員会」代表の矢島明さんは「3日には正式に会を発足させ、秋に向けて記念式典や小冊子の発行を予定している」と力を込める。
逗子郵便局向かい「紡氣」(逗子市逗子5)中2階では4月1日から東逗子駅70周年を記念して展示会「東逗子大特集」を開催。東逗子駅周辺の資料や写真を集めている。今月26日まで。