10月17日のプロ野球ドラフト会議で阪神球団から6位指名を受けた東海大学九州キャンパス(熊本市)の投手、小川一平さんの父、小川昌史さん(逗子市桜山)が喜びを語った。
(左から)小川一平選手を小さい頃から良く知っている石渡行雄さん、父の昌史さん
一平さんは逗子生まれで、逗子小学校、逗子中学校、県立横須賀工業高校出身。昌史さんによると、同校の三木健太郎監督が東海大九州キャンパスOBで横浜隼人高校の佐野辰徳副部長(当時)に相談し、紹介を受けた同大の南部正信監督が直接、横須賀まで投球を見に来た上で一平さんを誘ったという。
「野球は小学校2年から逗子オリーブスで始めた。先に1年生から習っていた柔道のおかげで身のこなしができるようになったと思う。小学校を卒業する時にはプロ野球選手になりたいと言っていた。ドラフト前、9月、志望を提出する際に電話があり『育成でもいいからプロを目指す』と決意を聞いた」という昌史さんは、ドラフト当日、一平さんの母、晴美さん、妹の藍さんと3人で地上波放送の後、ラジオそしてケーブルテレビと発表に耳を澄ませた。
「名前を聞いた瞬間は身の毛がよだつというか、鳥肌がたった。3人でよかったと顔を見合わせた途端から3人の携帯が鳴り続けた」と昌史さんは振り返る。「本人とはその日、1分も話せなかった」とも。
一平さんは、甲子園にも神宮にも出場していない。大学生になって、日本代表合宿には参加したが、選抜メンバーには選ばれなかった。大学入学直後の2016(平成28)年4月には熊本地震に被災し、グラウンドはなくなり、他市の球場を借りた。大学3年の秋には腰痛、4年の春には部員の不祥事でチームが出場停止という状況も乗り越えてきた。
昌史さんは息子が卒団した後も少年野球チームのコーチを続けている。「ペー(呼び名)は阪神の藤川球児を目指して直球を磨いてきたというので、阪神で良かったと思う。彼はある面、クールで冷静。小学生の時、ピッチャーの癖を見抜いたことがあり、驚いたこともある」と話し、「これまで出会った監督やコーチの皆さんに恵まれて成長し、運良く指名していただいた。甲子園に出ないとプロになれないなどの法則はないと感じた。このことで野球をやりたい子どもが増え、プロを目指す子どもたちの励みになれば」とも。
昌史さんの所属する消防団のメンバー、石渡行雄さんは「小さい頃から一平くんはともかく活発だった。地域の知人友人はみな盛り上がっている。逗子出身は愛甲猛選手以来かな。すでに一平のユニホームを作る話もある」と喜ぶ。