葉山町福祉文化会館(葉山町堀内)で12月1日に行われる公演「グレイッシュとモモ」のチケットが、公演1カ月前に完売した。主催の演劇集団・激弾BKYU(ビーキュウ)は来年2025年で創立40周年を迎える劇団で、モモ役・東野醒子さんとジジ役・有友正隆さんは葉山在住。劇団で出会った2人は東野さんの進行性の難病「網膜色素変性症」の視覚障害を受け入れながら夫婦となり、障害が発覚する前と同様に舞台に立つ。公演を前に役への思いなどを聞いた。
(左から)葉山町観光協会・高木康之会長と有友正隆さん
―― 公演「グレイッシュとモモ」(以下、グレモモ)を葉山で上演するのは16年ぶりだそうですね
有友 幼稚園小学校中学校と同級生で親しい(現・町観光協会会長)高木康之くんがちょうど商工会青年部40周年事業の実行委員長だったので、声をかけてもらいました。今回は町制100周年記念事業として上演できるのがうれしい。
―― グレモモはドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデの「モモ」を原案に、1996(平成8)年に同劇団創設者の一人、サカイハルトさんが脚本・演出を手がけた作品で、「あなたは必要とされている」というメッセージも込められているそうですね。有友さんはこの作品を見て、劇団に入りたいと思ったそうですね。
有友 東京で音楽や芝居をやっていたのですが、30歳を前に将来の展望が見いだせず、メンタルが落ちていた頃、自転車で見に行ったんです。ストーリーはもちろん、役者のエネルギーに感動して大号泣。帰りは自転車をこぎながら、心にかかっていたベールのようなものが取れていくような風を感じました。その時から「ジジ」の役をやりたいと思っていました。
―― それは運命のような出合いですね。その時、モモはもう東野さんだったのですよね。
東野 はい、私とサカイさんとで立ち上げた劇団で、グレモモも一緒に作り上げてきた作品です。
公演「グレイッシュとモモ」の1場面(提供=激弾BKYU)
―― 東野さんが芝居をやりたいと思ったのはいつ頃ですか。
東野 短大を卒業して就職しようと思っていたので、芝居をやりたいという気持ちはなかったのですが、就職する前に「劇団若草」の看板が目にとまりました。もともと表現することが好きだったこともあり、役者も経験しておきたいと軽い気持ちで入りました。そしたらすぐに蜷川幸雄さんの舞台「にごり江」のヒロイン、たけくらべの美登利役のオーディションに受かり、この世界へ。
―― 蜷川さんの目にとまったということは役者の素質があったのでしょうね。
東野 蜷川さんから「芝居とは」とか、「お客さんの前に立つとは」などをたたき込まれました。刺激的な環境でしたが、お客さんのすぐそばで芝居をする小劇場の方が好きで、20代後半にサカイハルトさんと「激弾」を創ったのです。
―― 有友さんもその後、「激弾」に入団するわけですが、そこはすんなりいったのでしょうか。
東野 これも運命だったのかもしれませんが、紹介されて、サカイさんと彼の歌のライブを見に行き、2人ともとても彼を気に入っていたんです、キャラクターが面白かった。歌を歌いながらアクションもあって、ゴリラみたいな印象(笑)、人を引き付ける魅力がありました。それでまず客演を頼みました。
有友 将来に迷っていた時に出会えて、サカイさんたちは大げさに言えば、命の恩人といえるような存在です。29歳で入団して、5年位たって「ジジ」役にたどり着きました。自分に近いものがある、居心地のいい役です。
40歳、46歳で結婚。
3年前、葉山に移住。
―― 網膜色素変性症という病気の話になりますが、東野さんが病気に気付いたのはいつ頃だったのでしょう。
東野 彼が入団してきた後、30代前半ですね。だんだん視野が狭くなってきて気付きました。最初はやはり受け入れられず、戸惑いもあったし、それこそ結婚も諦め、私の家族とだけ力を合わせて生きていこうと思っていました。
―― でもいつからか受け入れられるようになり、有友さんと結婚もされた…。
東野 はい、最初は白杖(はくじょう)を持つこともためらいましたが、持たないと視覚に障害があることを気付いてもらえずにぶつかって、相手にも危険だということが分かってきました。他人に助けてもらっていいんだということを理解できるようになっていくんです。
彼との結婚も最初は考えられませんでした。後輩としか思っていませんでしたから。でも40歳を過ぎて、1年間くらい、魂のレベルで内面をちゃんと見たら、世の中をジャッジメントする軸が同じで、互いの家族の考え方も似ていることに気付きました。それで、「君の目になる」みたいなかっこいいことを言ってもらって…。
有友 (少し照れて・・・)私も3歳ごろからトゥレット症候群を抱えているので、
―― それでも実際、東野さんと生活するようになって戸惑いはありませんか?
有友 ありません。もともと出会ったときが既に看板女優で、憧れていましたし、彼女はとてもポテンシャルが高い人。むしろ元気づけられている、根っこにある覚悟に強いものを感じています。工夫すればできることもあり、それが喜びになっています。けんかしていても、外出するときは手を取って出かけるので、すぐにけんかも終わります。
東野 見えなくなるという人生を負ってもらうことに悩みましたが、助けてもらう素晴らしさを今は感じています。
―― 舞台上では観客も東野さんに障害があることを気づかないほどだそうですが、不自由さはどういう時なのでしょう。
東野 立ち位置の目印が見えにくかったり、お客さまが握手しようとして出した手が分からなかったりいろいろありますが、演出を変えてもらったり、隣に彼がいて教えてくれたりしながらしています。
―― 「モモ」という役も東野さんにとって特別な役のようですね、
東野 モモは皆と同じような行動が取れず、心を閉ざしている女の子です。視覚障害という役を人生で与えられ、一人では思うように動けないことが増え、スピードの速い世の中についていかれない現状がモモの存在に一致してきたことに、私だからこそ説得力を持って伝えられると感じています。演じ続けて28年目になりますが、人生に描かれていたシナリオかと思うくらいです。
秒針が刻む時間と
心の時間は違う
―― 今回は葉山町制100周年記念事業としての「グレモモ」になります。この舞台を通して伝えたいことは何でしょう?
東野 グレモモのテーマである「時間」は普遍的なテーマです。人はいつの時代も変わらず忙しい。物理的な時間は変わらない、つまり「秒針が刻む時間」は人によって感じる時間「心の時間」とは違います。葉山町の「100年」という時間は守ってきた人がいて、今の葉山があります。そういう流れてきた時間を、舞台上の生の役者の息遣いとお客さんの空間と一体になってかみしめてもらえたらうれしいです。
有友 葉山に戻ってきて、昔は感じられなかった葉山の良さを感じ、楽しんでいます。そんな葉山で公演の機会を持ててありがたいことだと思っています。これからも葉山でできることがあれば続けていきたいと思っています。
激弾BKYU https://www.bkyu.com/index.php
公演「グレイッシュとモモ」の1場面(提供=激弾BKYU)